こんばんは。
「生きづらさ」の鎧を脱ぎ、楽で自由になるカウンセリング。
心理カウンセラーの野内みちるです。
今日は、 ココロノマルシェに届いたお悩みに回答させていただきます。
ココロノマルシェとは?
根本裕幸カウンセラーのお弟子カウンセラー達が回答する、無料のお悩み相談掲示板です。
お悩みがある場合は、是非、下記の「ココロノマルシェ」のページからお気軽にご投稿くださいね。
ココロノマルシェ
ご相談文
人を教育するのが嫌(ご相談者さん:あかいさん)
いつも拝読させていただいております。
長年の悩みについて相談させてください。
私は現在入社して10年以上経つ、経験だけはある(仕事はあまりできない)研究職の中堅社員です。
職場は人材、人員不足であるため、私のようなあまりできの良くない社員もテーマの主担や若手、派遣社員等の教育を担当させられたりします。テーマの主担も辛いのですが、もっと嫌なのが教育担当です。
振り返ると学生時代から人に教えるのが苦手(というか嫌)で最初の方はわりと面倒を見ているのですが段々嫌になって感情的に相手のことを叱りつけたり、指導を放棄することを恥ずかしながら繰り返してきました。相手のことを考えたらそのような態度は良くない、というのは理性では理解しているのですが、いざ本人を目の前にすると感情が抑えられなくなります。そしてその傾向はどんどん酷くなっているのが自分でもわかります。まるでアレルギーの様です。
自分なりに原因を分析すると、
1.相手の仕事まで責任を持ちたくない(自分の指導で研究が停滞すると自分の責任になってしまうため)
2. 教えることに自信がない
3. そもそもコミュニケーションが苦手、人と話すのが好きではなく、声を出すのがおっくうで一人でいるのが好き
4. 自分の仕事の時間を搾取されているように感じてしまう
などと考えています。
また、私は男性嫌悪が少々あり、全ての男性が駄目な訳ではありませんが、生理的に極端に駄目な男性がいます(こちらも年々度合いがひどく、また駄目な人も増えています。)。最近そのタイプの男性のメンターに当たってしまい、早々に極力距離を取るようにしています。いっそのこと、派遣社員になって教える立場にならないようにしたいと思って転職しようか迷っているところですが、経済的に不安で迷っています。
いい加減長年のこのパターンを手放して、せめて常識的な態度が取れるようになるにはどうすればよいでしょうか。まとまりのない文章でわかりにくいかと思いますが、何らかのコメントをいただけましたら幸いです。
ご回答はここからです。
あかいさん、ご相談ありがとうございます^^。
毎日、お仕事お疲れ様です。
私もあかいさんと同じ職種、大体同じ期間働いている中堅社員です。
なので、勝手に大変親近感を感じておりました^^。
また、ご相談内容も大変共感を呼ぶものではないかと思います。
例えば、大学院の研究室の先生とかを思い出していただいて、こういうタイプの方はいなかったでしょうか?
研究能力:最高
教育能力:…(お察し下さい…)
あるあるかもしれませんが、研究能力と教育能力って全く別個の能力かと思います。
(研究の分野に限らず、「名プレイヤー、名監督にあらず」などという言葉もあります)
なので、教育係が負担…というあかいさんのご相談は、「あ~、分野は違うけど、私も!」と思われる方も多いのではないかと思います。
改めて、ご相談ありがとうございます^^。
感情的に相手のことを叱りつけたり、指導を放棄したりしてしまう原因とは?
>振り返ると学生時代から人に教えるのが苦手(というか嫌)で最初の方はわりと面倒を見ているのですが段々嫌になって感情的に相手のことを叱りつけたり、指導を放棄することを恥ずかしながら繰り返してきました。
>いい加減長年のこのパターンを手放して、せめて常識的な態度が取れるようになるにはどうすればよいでしょうか。
あかいさんも「感情的に𠮟りつけたり、指導を放棄する」のが良いことだとは思っていらっしゃらないと思います。
でも、なぜかそうなってしまう。
カウンセリングでは、何らかのやむにやまれぬ経緯があって、「感情的に𠮟りつけたり、指導を放棄する」に至っていると考えます。
その経緯・原因とは何かということですが、
>1.相手の仕事まで責任を持ちたくない(自分の指導で研究が停滞すると自分の責任になってしまうため)
>2. 教えることに自信がない
>3. そもそもコミュニケーションが苦手、人と話すのが好きではなく、声を出すのがおっくうで一人でいるのが好き
>4. 自分の仕事の時間を搾取されているように感じてしまう
と書いて下さっています(ありがとうございます!)。
この部分を拝見するに、あかいさんにとって「教える」というのは非常に負担で嫌なことで、それを我慢しながらやっているということではないかと思います。
そうすると、人間嫌なことをずーーーーーっと我慢してやっていると、我慢が溜まりに溜まって、最後爆発してしまうというのは無理ないことかと思います。
例えて言うと、自分に合わない靴を履いて足が痛いのに我慢して米袋10kgをかついでずーーーーーっと歩いていたら、
〇「もう痛いんじゃーーーーー!!!」と叫んでしまう(感情的に言ってしまう)
〇「もうこの靴も米袋も嫌じゃ!!」と靴も米袋も投げ捨ててしまう(放棄する)
のも無理ないことではないでしょうか。
つまり、問題は「感情的に𠮟りつけたり、指導を放棄する」ということではないのかもしれません(これは最終結果)。
本当の問題は「嫌なことを我慢してずーーーーーっとしている」ということかもしれません(結果を生む原因)。
我慢をやめる方法
もし、「結構当てはまるかも…」と思われたら、続きをご覧ください^^。
今日は、一応上記の観点から、「我慢をやめる」をポイントに、どうしたらよいかを2点、ご回答したいと思います。
自分に合った方法で教育係をできないか?
「我慢をやめる」の1つ目は、あかいさんにあった方法で教育係をできないかを模索するのはいかがでしょうか?
例えば、
>そもそもコミュニケーションが苦手、人と話すのが好きではなく、声を出すのがおっくうで一人でいるのが好き
と書いて下さっています。
自分が人と話すのが好きではなく声を出すのがおっくうだとします。
それを我慢してコミュニケーションを取ったり人と話したりしたら、しんどくなってしまうのも無理ないかと思います。
例えは、あかいさんは、ご相談文は素晴らしくわかりやすく書いて下さっています^^。
もし文章コミュニケーションが嫌でなければ、メールやチャットといった自分に合った方法を使うというのはいかがでしょうか?
これは例ですが、あかいさんにとってストレスない方法で教育係をできないかを模索するのはいかがでしょうか?
「教育係はこうしないといけない」という観念を再検討する
「我慢をやめる」の2つ目は、「教育係はこうしないといけない」という観念を再検討するのはいかがでしょうか?
もしよければ、あかいさんが「教育係がすべき」と思われていることをまず一度書き出してみていただければと思います。
そして、その内容は本当に「教育係」がすべきことかを再検討してみるのはいかがでしょうか?
例えば、
「教育係がすべきこと」
「教育を受けている側がすべきこと」
「管理者がすべきこと」
といった様々な要素が絡み合っているかもしれません。
実は、ご相談文を拝見して最初に、「あかいさんは仕事に誠実で責任感があって素晴らしいなー」と私は感じました^^。
でも、その素晴らしさをあかいさんご自身が認識できていないと、頑張りすぎてしんどくなってしまうかもしれないとも思いました。
「教育係がすべき」と思われていることをまず一度書き出して再検討してみると、
〇「あ~、自分はすごく頑張っていろいろやってきたんだな」
〇「あ~、自分はいろいろやってあげようと思ってたからこそ、しんどくなっていたのかもな」
ということにご自身で気が付くこともあるかもしれません。
そういったことを通して、
〇「これは自分(教育係)の責任範疇ではないな」
と自分の中で心の整理がつくだけでも、あかいさんの心の負担が減るのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか^^?
まとめと動画の紹介
今日は、「我慢をやめる」ということをテーマに、
〇「自分に合った方法で教育係をできないか?」を模索する
〇「教育係はこうしないといけない」という観念を再検討する
ことについてご回答しました。
何か少しでもご参考になれば嬉しいです。
動画でも回答しておりますので、よければご覧下さい^^
おまけ
今日は「男性嫌悪」の部分はあまりご回答できなかったので、もしよければ、こちらの記事もご参考まで。
【参考記事】
このたびはご相談ありがとうございました(*^-^*)。
ご感想をこちらから送ってくださったり、SNSでつぶやいてくださったりすると、とっても嬉しいです(^^)。
この記事を読んで下さって、「この場合はどうだろう?」「自分の場合はどうだろう?」と思われた方は、是非、こちらから↓ご質問をいただければ嬉しいです^^
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