こんにちは。
「生きづらさ」の鎧を脱ぎ、楽で自由になるカウンセリング。
心理カウンセラーの野内みちるです。
今日は、ココロノマルシェにいただいたお悩みにご回答させていただきます。
動画でも回答していますので、よかったらご覧ください。
ご相談文
他人の目線が気になる自分と自我の板挟みが辛い(ご相談者さん:だやさん)
他人の目線が気になる気持ちと、本当にやりたいことの間で苦しんでいます。
本当にやりたいこととは、将来の夢とかそういう大きいものじゃなくて、帰りたい、とか、早く寝たい、とかそういう小さなことです。
例えば、私は帰りたかったり予定があったりしたら上司がまだ働いていても仕事を定時で上がります。定時で帰ることはできるのですが、そういう日はだいぶ早くからソワソワし始め、先に帰ったら私のいないところで色々言われるかな、、若手なのにさっさと帰りやがってと思われるかな、、など人にどう思われるか考え、具体的に怒られたり何か言われる妄想をし、ギリギリまで帰るかどうか悩み、でもやっぱり帰りたい!と思って逃げるように帰ります。そして帰りながら罪悪感に苛まれます。(しかも逃げるように帰るので挨拶なども疎かになってしまい社会人として最悪だ、、という罪悪感も重なります)
行動としては帰っているので、私がこんなに葛藤してぐったりしていることは多分誰も知りません。むしろ、人の目は気にしないタイプだと思われがちです。
結局自分のやりたいようにしているのに、周りからも悪く言われたくないという我儘さに自分で呆れてしまい、せっかく早く帰れても結局職場のことばかり考えてしまいます。
小さい頃から心配性、自意識過剰と言われて育ってきて、学生時代まではいわゆる「上司が帰るまで帰れない」タイプの人間でした。
そんな自分を辞めたくて、自分が何を思い、感じているかを見つめようと意識してきました。ある程度自分がどうしたいかはわかるようになってきたけれど、自意識過剰は変わらずあり、かえってその狭間で葛藤することが増えてしまいました。
むしろ昔の方が無理して頑張りすぎてると周も自分も思っていた気がします。今の自分はやりたいように表向きはやっていて、無理して頑張りすぎてることにはならないので、この罪悪感を他人にさらけだすのは甘えじゃないかと感じ、一人で抱えてしまいます。
この板挟みをどう解釈して乗り越えていけばいいのでしょうか。また、どう自分と向き合おうとしても自分を責める声が止まないのはなぜなのでしょうか。
ご回答はここからです。
だやさん、ご相談いただき、本当にありがとうございます^^
すごく共感を呼ぶご相談かな~と思いながら、ご相談文を拝見しました^^
板挟みの辛さをどう乗り越えたら良いかという本論に入る前に、まず、だやさんの素晴らしさをお伝えしたいなと思います^^
だやさんは、学生時代はいわゆる「上司が帰るまで帰れないタイプ」だったとのこと。
すごく人の目を気にして、自分がしたいことがなかなかできなかったということかと思います。
そこから、
〇実際に自分はどう感じてるのか、自分がどうしたいのかを感じ取れるようになる
〇実際にしたい行動に移せるようになった
という、2つの大きいステップを乗り越えられてきたのですよね^^
やっぱりこれって、すごく大きな変化だと思います。
多分ご自身でいろいろ取り組まれてきたのかと思います。
そうやって、こんなに大きな変化を起こせる力を持っただやさんは素晴らしいし、こんなに大きな変化を起こせるだやさんの未来は、もう絶対明るいなと思いました^^
もちろん、まだ板挟みの葛藤はあると思います。
でも、前から比べたら本当に大きな変化を起こされてきて、それってすごく素晴らしいことだということを先にとお伝えしたいなと思いました^^(パチパチパチパチ!全力で拍手です!)。
今日は、まだ板挟みの葛藤があるということで、どうそれを乗り越えていったらよいかについて、ご回答したいと思います。
今日は2つのポイントがあります。
自分を責めずに自分に優しく接することで、少しずつ自分に優しくする勢力のパワーをアップしていく
1つ目のポイントは、自分を責めずに自分に優しく接することで、少しずつ自分に優しくする勢力のパワーをアップしていくことです。
ご相談で書いてくださっている通り、実際の行動としてはだやさんは定時で帰ることはできているのですよね。
でも、内心として、
>先に帰ったら私のいないところで色々言われるかな、、若手なのにさっさと帰りやがってと思われるかな、、など人にどう思われるか考え、具体的に怒られたり何か言われる妄想をし、ギリギリまで帰るかどうか悩み、でもやっぱり帰りたい!と思って逃げるように帰ります。そして帰りながら罪悪感に苛まれます。
という激しい葛藤があるのかと思います。
今まで他人に合わせて頑張ってこられた方が、自分の気持ちに気づいて、実際に自分を優先して行動しようとされた時、非常によく起きることを素晴らしい表現力で描いて下さっているかと思います。
実際、クライアントさんのご感想などでも、自分の気持ちに気づいて、自分を大切にする行動をとり始めた時、
〇「私って身勝手になってしまったような気がして困っていた。」
〇「私はすごく人に対して冷たくなってしまったみたいで、これで良いのか迷っていた。」
ということを書いて下さる方は多いです。
また、私自身、自分を優先させるぞ!と行動を起こそうとした時、「今日はそのすごくどうしても外せない用事がありまして。家のインターネット工事の立ち合いをしないといけなくて、他に立ち会える人もいませんし、どうしてもこの時間帯じゃないといけないと言われていまして(ペラペラペラペラ)」みたいな感じで、聞かれてもいないのですが、すごく言い訳がましくなってみたりとかしていた時期もありました(;^ω^)
何が言いたいかといいますと、こういう葛藤が出てくること自体は自然なことで、順調なプロセスの一部と捉えていただければと思うのです。(だやさんの取組がダメだったとかでは全くないと思います^^)
「それだけ今まで他人を優先して頑張ってきたんだよね^^。そりゃいきなり、何の葛藤もなくなるのは難しいよね」
「でも難しい中で、頑張って自分の気持ちを大切にするようにしているんだよね^^自分えらいね!ナイスファイト!」
こんな感じで今の自分を受容するのはいかがでしょうか^^?
そういう言葉をかけてあげると、少しずつ少しずつ、自分を大切にする勢力が強まってきて、自分を責める勢力が弱まってきて、葛藤が弱まってくる場合があるかと思います。
自分ルールを明示化し手放す
2つ目は、自分ルールを明示化し手放すことです。
もう少し踏み込みますと、だやさんは、例えば定時に帰る時に、「どうして帰っちゃいけないと思うのかな?」というところを考えてみていただければと思います。
自分を責める声が止まらないということなのですが、1つの可能性として、
帰りたいという気持ち
VS
帰ってはいけないという自分ルール
という葛藤があって、その自分ルールに抵触していると思うので「こんなことしちゃってさ、早く帰っちゃってさ」という自分責めが止まらないのかな?と思ったのですが、ピンとくるところはあるでしょうか^^?
早く帰るということだけではないと思うのですが、自分が「こうしたいな!」と思うけど、「でもダメな気がする」と思った時に、「何がダメなのかな」というところを考えてみていただければと思います。
例えば、だやさんが書いて下さっているところだと、
>若手なのにさっさと帰りやがってと思われるかな
とあるのですが、つまり、「若手だと早く帰ってはいけない」という心のルールがだやさんの中にあるのでしょうか^^?
そういう心のルールを書き出すなどして意識化すると、
「いや、それって本当かな?」
と少し客観的な視点を持てることがあります。
私たちの心のルールって無意識下にある時は勝手に発動してるのですが、意識化して見た時に「いや、そんなことなくない?」と思えると、結構手放せる時があります。
ただ、「そんなことなくない?」みたいな感じで軽く手放せる時もあるのですが、そうでない時もあります。
頭では、「なんか変なルールだな」と思う(例えば、「若手だって早く帰っていい」と思う)。
でも、「なんかダメな気がするんだよな」という時もあります。
そういう時は、何らかのそのルールができた時の感情を解放していくと、サクッと手放せるようになると思います。(この辺になるとカウンセリング案件かと思いますので、よかったらその場合はカウンセリングをご活用下さい^^)
まとめ
今日は、他人の目線が気になって、思い切り好きなことができない時の対処法として、
〇自分を責めずに自分に優しく接することで、少しずつ自分に優しくする勢力のパワーをアップしていく
〇自分ルールを明示化し手放す
という2点を回答しました。
素晴らしい変化の中にあるだやさんを心から応援しております^^
何か少しでもご参考になれば嬉しいです。
このたびはご相談ありがとうございました(*^-^*)。
動画でも回答していますので、よかったらご覧ください。
ご感想をこちらから送ってくださったり、SNSでつぶやいてくださったりすると、とっても嬉しいです(^^)。
この記事を読んで下さって、「この場合はどうだろう?」「自分の場合はどうだろう?」と思われた方は、是非、こちらから↓ご質問をいただければ嬉しいです^^
コメント