こんばんは(^^)「生きづらさ」の鎧を脱ぎ、楽で自由になるカウンセリング。
心理カウンセラーの野内みちるです。
今日は、 ココロノマルシェに届いたお悩みに回答させていただきます(^^)
ココロノマルシェとは?
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ココロノマルシェ
ご相談内容
人が問題に苦しむことに無関心になった(ご相談者さん:Yさん)
私自身の問題が快方に向かいだしたら、職場の仲間など周りの人が問題を抱えてることへ関心が無くなってきました。
大変だよなぁとは思っても、自ら力になりたいとか思えない。あなたの問題だからなぁと眺めてます。
自分が問題を抱えてた時は、話を聞いてもらえた。うれしかった。私も彼女の話は聞く。
しかし彼女のように「もらい泣き」はできないし、自ら興味をもって「どう?」とか聞けない。彼女を淋しくさせてるかも、自分の時の感謝をお返しできてないかも、と気になる。気にはなるけど、自ら動く気にはなれない。
自分が冷たい気がして残念だが、自ら行動を訂正?する気にはなれない。
薄情かしら?私は薄情だと受け入れたらよいん?
ご回答はここからです。
Yさん、ご相談ありがとうございます(*^-^*)。
まず、Yさんはご自身の問題が快方に向かいだしたということで、それって、大変素晴らしいことですよね(๑´ω`ノノ゙。
さらっと書かれていますが、今まで、いろいろと取り組まれてきて、ご自身の問題に向き合ってこられたのではないかと思います。
まずは、今までのYさんの頑張りや取り組みに「おめでとうございます!」とお伝えさせていただければと思います(*^-^*)。
それで、早速ですが、
>薄情かしら?私は薄情だと受け入れたらよいん?
について、私はご相談文を拝見して、むしろ「Yさん、本当に優しいんだな~」という感想を持ちました(笑)。
そもそも、本当に薄情だったらこのご相談自体を送ってくることもないと思いますし、そもそも「彼女を淋しくさせてるかも、自分の時の感謝をお返しできてないかも、と気になる。」こともないのではないかと思います。
〇「私って、優しくない…」と悩む人はそもそも優しい人(本当に優しくない人は、人に優しいかどうかは気にならないので、こういう悩み自体が生まれない)
〇「私って、冷たいな…」と悩む人はそもそもあたたかい人(本当に冷たい人は、人にあたたかく接しているかどうかは気にならないので、こういう悩み自体が生まれない)
というのと似ているかもしれません。
なので、Yさんは
>大変だよなぁとは思っても、自ら力になりたいとか思えない。
>彼女のように「もらい泣き」はできないし、自ら興味をもって「どう?」とか聞けない。
>自ら動く気にはなれない。
というところが気にかかっていらっしゃるでしょうか?
今日は、ある行為(「どう?」と聞くとか)ではなく、その裏にあるものについてフォーカスすることで、Yさんの気持ちが少しでもスッキリすればと思い、ご回答させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします(*^-^*)。
「犠牲」と「与える」の違いから考える
>大変だよなぁとは思っても、自ら力になりたいとか思えない。
ということで、今、積極的に何らか「どう?」と話を振ったりするのは、気が進まないということかと思います。
だけれども、もし、
>彼女を淋しくさせてるかも、自分の時の感謝をお返しできてないかも、と気になる。
から、気が進まないけど無理やり「どう?」と話を振るというのは、「犠牲」になってしまうのではないかと思います( ;∀;)。
よく、「人には親切にしましょう」とか「やってくれたことにお返ししましょう」とか一般論としてあると思うのですが、誰かに何かをする(例えば、「どう?」と話を振るとか)という行為自体は同じでも、それが「犠牲」になるか「与える」になるかは異なります。
〇与える:相手が喜ぶことをしてあげて、このことに自分が喜びを感じられる状態。相手からの見返りは求めない。
〇犠牲:誰かのために、自分が幸せではない行動を採ること。誰かのために、本当はしたくないけれどしていることや、仕方なくやっていること。我慢してやりたくないことをやっているので、自分がすごく疲れてしまったり、相手に罪悪感(「無理に我慢してやってもらって申し訳ない…」という気持ち)を配ってしまう場合もある。
この2つの違いから見ると、積極的に何らか「どう?」と話を振ったりするのは、今、Yさんにとっては「犠牲」になってしまうのではないかと思います( ;∀;)。
だから、
>自分が冷たい気がして残念だが、自ら行動を訂正?する気にはなれない。
というのは、Yさんが自分軸で考えて「犠牲」を回避しているので、とっても素晴らしいことではないかと私は思いました(もしかしたら、昔のYさんだったら、ついつい「犠牲」してしまっていたかもしれません(*^-^*))。
なので、Yさんは薄情になったわけではなくて、「犠牲」を辞めれるようになったということではないかと思いますが、ピンと来ますでしょうか?
【参考記事】
「ビジョンになる」という形で「与える」方法もあるかも
それで、「与える」というのは、別に「どう?」と話を聞く以外の方法もたくさんあるのではないかと思います(*^-^*)。
今日は、その1つ、「ビジョンになる」という形で「与える」という方法もあるということをご紹介したいと思います。
Yさんはご自身の問題が快方に向かいだしたということで、それで、ご自身は随分楽になってきた部分があるのではないでしょうか?
そしたら、そうやって楽に幸せになってきたYさんは、今問題に苦しんでいる人のビジョンになるという形で、人に与えることもできるかもしれません。
例えば、
(Aさん)いつも職場の人に気をつかって、家に帰ってきたらドッと疲れていたんですけど、いろいろと取り組んで、最近は職場でも自由にゆったり過ごせるようになったんです(*^-^*)。だから、家に帰っても元気で、自分の好きなことをできるようになりました。
(Bさん)いつも職場の人にイライラしていて、そんなにイライラする自分にもイライラして辛かったのですけど、いろいろと取り組んだら、本当にその人が気にならなくなったんです(*^-^*)。すごくフラットな気持ちで人と接することができるようになりました。
とかそういう問題が快方に向かった人がいるとして、そういう話を聞くと、今、問題に苦しんでいる人は、
〇「わー、そんなふうになれるんだ(*^-^*)」
〇「そっか、今の苦しみは解消できるんだ(*^-^*)」
〇「どんなふうに取り組んだらいいのかな?私もAさん(orBさん)のように問題を乗り越えたいな(*^-^*)」
と思う方もいると思います。それが「今問題に苦しんでいる人のビジョンになる」の意味です。
まず、自分が幸せになる→それが誰かの希望やビジョンになるという流れです。
だから、Yさんが幸せになること、ハッピーでいることは、何かしなくても、それだけで人の役に立ってるのではないかと思います。
そういう観点で見てみるのはいかがでしょうか(*^-^*)?
それでも「見捨ててしまったようで抵抗が…」という場合は、こちらの記事も参考にどうぞ。
【参考記事】
「自分だけ幸せになったら、嫉妬されてしまうのでは…?」と心配な場合は、こちらの記事も参考にどうぞ。
【参考記事】
まとめ
今日は、「周りの人が問題を抱えていることに関心がなくなった。自分は薄情なのか?」というご相談に
①薄情ではなく、「犠牲」を辞めれるようになったのでは?
②今問題に苦しんでいる人のビジョンになるという形で、人に与えることもできるのでは?
という2つの観点からご回答しました(*^-^*)。
何か少しでもご参考にあることがありましたら、幸いです。
ご不明点やご感想がありましたら、お気軽にこちらから送っていただけたらと思います(^^)。
このたびはご相談、本当にありがとうございました!
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