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こんばんは。
「生きづらさ」の鎧を脱ぎ、楽で自由になるカウンセリング。
心理カウンセラーの野内みちるです。
今日は、ココロノマルシェにいただいたお悩みにご回答させていただきます。
ご相談文
生きることを楽しんでいい、と許可するには(ご相談者さん:れいなさん)
根本先生や皆さんの記事を参考に内観を進めるうちに、小さい頃は両親大好きだったんだな(大人の今の私にとっては生理的に嫌いなんですが)と受け止めたり、無価値感や罪悪感、自己肯定感を高める、親への癒着を切って期待をやめる、などに取り組みました。でもある時「そんなに頑張っても意味がない。◯ねば楽になる。生きる意味も特にない。どうせ◯ぬ」「もしくは、仕事も一人暮らしもやめてまた実家に引き篭もれば楽になる」という声があることに気がついたんです。
そしてそれを証明するように、騒音で引越しを迫られたり、失恋したり、結婚相談所に申し込んでも料金だけ払って強烈な拒否感が出て退会して大金を無くしたりと、なんだかめちゃくちゃです。中学生くらいから両親の過干渉や宗教勧誘に強固な壁を作ったり無気力になったり引きこもったりしてました。それまで私は「何かあれば◯ねばいい」と、自◯を切り札にしていました。この切り札が不安をかき消してくれるお守りだったんです。
私はこのお守りに依存してるのかなと思いました。
でも、内観を進めた今「私が本当にやりたいことは◯ぬことではなく幸せになることだ」と気づき、お守りを手放そうとしてます。が、上記の通り中々難航してるのです。日々を笑顔で過ごそうとすると「そんなに楽しんでは◯ぬ理由がなくなる」「◯んだ方が、引きこもった方が楽になれるのに、なぜそんなに足掻くのか」という声がある気がします。
私は多分、とても寂しさや不安が強いんだと思います。
小さい頃も、昼寝して目が覚めて誰もいないと怖くて母が帰ってくるまで泣いていたり、小学高学年になっても家に一人でいると不安になったほどです。
貯金ができない、仕事続けられるのか、クビにならないか、一人暮らしを続けられるのか、続けて意味あるのか、過食症は治るのか、推し活は楽しいけどお金かかるし、すぐ妄想して現実逃避しちゃうし(幼少期からずっとです)、そもそも本当に生きる意味あるのか、足掻いてここを抜け出せるのか、と、全部不安なんだと思います。毎日笑顔で幸せを感じて生きる自分を、想像すると途方に暮れてしまいます。まるで「そんなの無理だ。意味がない」と思ってるみたいです。
そうなりたい、と思うのは思考なのでしょうか。
どうしたら、毎日楽しんでいきることができるでしょうか。
お知恵をお借りできたら嬉しいです。
ご回答はここからです。
れいなさん、ご相談いただいて本当にありがとうございます^^。
「幸せになりたい」「毎日笑顔で幸せを感じながら生きていきたい」という思いがありながらも、それを想像すると途方にくれてしまったり、「そんなの無理だ、意味がない」という気持ちも出てくる。
れいなさんのご相談文のタイトルが「生きることを楽しんでいい、と許可するには」ということで、もっと楽しむ方向に行くにはどうしたらいいかなというご相談かと思います^^
>それまで私は「何かあれば◯ねばいい」と、自◯を切り札にしていました。この切り札が不安をかき消してくれるお守りだったんです。
と書いて下さっていて、そういうことを考えて、お守りにしないといけないぐらい、外部環境が過酷だったということかと思います。
心のお守りが必要なのは過酷な環境に対処するため
そもそも、どうしてそのお守りが必要だったかを、他の例で例えてみます。
例えば、Aさんがめちゃめちゃ寒い部屋に閉じ込められたとしますね。
でも、その部屋には窓があって、最終その窓を打ち破れば怪我をするかもしれないけど部屋から脱出はできるとします。
一方で、Bさんも同じようにめちゃめちゃ寒い部屋に閉じ込められたとしますね。Bさんの部屋には窓がありません。だから、脱出することはできない。
こういう状況の時、寒い(例えば-10℃)という温度の条件はAさんの部屋もBさんの部屋も一緒だったとしても、どちらの人のほうが冷静に状況に対処できそうでしょうか^^?
窓があって、怪我するかもしれないけどいつでも自分は出て行くことができると思えるAさんのほうが、それが心の安全弁になって、落ち着いて状況に対処できそうな気がします。
一方、Bさんのように過酷な寒い環境に閉じ込められ、かつ脱出ルートもないとなったら、パニックになってしまって冷静に対処することは難しいのも無理ないかと思います。
つまり、
>それまで私は「何かあれば◯ねばいい」と、自◯を切り札にしていました。この切り札が不安をかき消してくれるお守りだったんです。
というれいなさんは、この切り札を持たなかったらパニックになってしまうぐらい過酷な環境の中で、「自〇」を感情の安全弁としながら、何とか進んでこられたということではないかと思います。
そういう感情の安全弁を持たないといけないぐらい、すごいハードな環境を何とか舵取りしながら進んで来られたのが、れいなさんなのかと思います。
そういう意味で、れいなさんは本当に頑張ってこられたことを最初にお伝えさせていただきたいと思います^^
自分の感情を受容する
そして、今、「いつも日々笑顔で過ごせるようになりたい。幸せになりたい」と思えるようになったこと自体が、めちゃめちゃ素晴らしいことだと思います^^
でも、今まで過酷な状況があったし、今も辛いことがたくさんある。
だから、「楽に楽しく笑顔で生きる」ということが、非現実的に思えてしまったりするというのが、今の状況ではないかと思いますが、いかがでしょうか^^?
今までずっと苦しく過酷な生を過ごしてこられたとしたら、そう思っても無理ないことかと思います。
>私は多分、とても寂しさや不安が強いんだと思います。
小さい頃も、昼寝して目が覚めて誰もいないと怖くて母が帰ってくるまで泣いていたり、小学高学年になっても家に一人でいると不安になったほどです。
貯金ができない、仕事続けられるのか、クビにならないか、一人暮らしを続けられるのか、続けて意味あるのか、過食症は治るのか、推し活は楽しいけどお金かかるし、すぐ妄想して現実逃避しちゃうし(幼少期からずっとです)、そもそも本当に生きる意味あるのか、足掻いてここを抜け出せるのか、と、全部不安なんだと思います。
と書いて下さっていて、今までも寂しさや不安を強く感じながらも、何とかそれを押し殺して進んでこられたのだと思います。
「大丈夫だよ」「よくやっているよ^^」「どんな時も味方でいるよ^^」「どんなれいなさんも応援しているよ^^」とれいなさんを受け止めてくれる安全基地がないまま、今まで進んでこなければならなかったのかもしれません( ;∀;)
よく頑張ってこられたのではないかと思います^^
なので、もしよかったら、最初に「それは不安になるのも無理ないよね」「今まで本当によく頑張ってきたよね」と自分の感情を受容し、自分を認めてあげるというのは、いかがでしょうか^^?
感情は受容していくと落ち着いてくるという法則もあるので、それをするだけで気持ちが落ち着いてくることもあります。
世界や人間に対する心の前提
そして、より根本的な部分としては、れいなさんのように過酷な環境でサバイブしてきた人の中には、「この世界はすごく恐ろしい場所で、人間はすごく危険なものだ」という心の前提を無意識に持ってしまっている場合もあります。
その前提を持っていたら、そんな恐ろしい世界の中で不安になるのは無理ないことかと思います。
私のカウンセリングでは、上記のような前提を持っている戦場育ちの人が、平和な世界に心のお引越しをするのをお手伝いしています。
【参考記事】


なので、本格的にお引越ししたいなと思われたら、是非カウンセリングも活用してみていただければと思います^^
私は非常に応援しておりますし、れいなさんのような勇者を心からお待ちしております。
まとめ
今日は、幸せになりたいのに不安ばかり出てくる時、過酷な環境で頑張って生きてきた自分自身を振り返ることや感情を受容することについて、ご回答しました。
何か少しでもご参考になれば嬉しいです。
このたびはご相談ありがとうございました(*^-^*)。
ご感想をこちらから送ってくださったり、SNSでつぶやいてくださったりすると、とっても嬉しいです(^^)。
この記事を読んで下さって、「この場合はどうだろう?」「自分の場合はどうだろう?」と思われた方は、是非、こちらから↓ご質問をいただければ嬉しいです^^

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