こんばんは(^^)。「生きづらさ」の鎧を脱ぎ、楽で自由になるカウンセリング。野内です。
今日は、「感情的」とはどういうこと?ということについて考えてみたいと思います。
社会では、「感情的」というのはあまり良い意味では用いられない?
社会(例えば会社とか)では、「感情的」というのはあまり良い意味では用いられないなと感じることはないでしょうか?
「感情的」は辞書的には、以下の意味のようです。
1 感情に関するさま。
「デジタル大辞泉」
2 理性を失って感情をむきだしにするさま。
社会で「感情的」があまり良い意味で用いられないのは「2」の意味があるからかもしれません。
確かに、辞書の「2」の意味のように、いつも怒って取引先と喧嘩になってばかりだったり、「くまモンかわいいーーーーーーーー!\(^o^)/」と急に職場のデスクで叫ばれたら、他の人がビックリするというのはあるかもしれません(^_^;)。くまモンについては、昼休みに小声で叫ぶべきですね。
「理性的」に見える人にもいろいろなパターンがある
「感情的」の反対の言葉は辞書的には「理性的」のようですが、結果的に「理性的」に見える人がいたとしても、
(A)感情とうまく付き合っている(感情を認めつつうまく折り合いをつけている)結果「理性的」に見える
(B)感情を抑圧している(感情をひたすら無視して無き物として扱っている)結果「理性的」に見える
という少なくとも2つの可能性はありそうかなと思います。
感情を無視して抑圧すると変なところから噴出してしまうケースも
もちろん、(A)(B)どちらでも本人がしんどくなっていなければそれでOKということかと思いますが、(B)のように、感情は無視して抑圧しても、変なところから噴出してしまうケースもあるようです↓。
例:
〇お酒・ギャンブル・薬・タバコ・買い物といったものを極端なはけ口としてしまう(健康とか生活を損なうレベルではけ口としてしまう)
〇親しい関係の人に、糸が切れたようにひどい態度を取ってしまったり、極端なはけ口としてしまう
などなど
もし感情を抑圧しすぎて、上記のような自分でもやめようと思ってるのに辞めれないことがある場合は、少し感情との付き合い方を見直してみても良いのかもしれません。
このブログではとてもよく出てくる
〇「こんなこと感じちゃいけない」「こんなこと考えちゃいけない」と自分の感情を否定するのではなくて、自分の感情を「うんうん、そうだね(^^)」とただ自分で認めてみる
というのはいかがでしょうか?
意外と「うんうん」と認めると感情が落ち着いてくることもあるように思います。
もしよければこちらも↓どうぞ。
まとめ
今日は、「感情的でない(理性的)」人とは、
(A)感情とうまく付き合っている(感情を認めつつうまく乗りこなしている)結果「理性的」に見える
(B)感情を抑圧している(感情を無視して無き物として扱っている)結果「理性的」に見える
という少なくとも2つの可能性はありそうということを書きました。
感情の扱い方って、私自身心理学とかカウンセリングを知る前までは、(B)の抑圧する一辺倒だったのですが、(A)みたいな方法もあるのかな~と知ってやってみて随分楽になったように思います(^^)。
もし少しでも参考になることがありましたら、とても嬉しいです。
読んで下さってありがとうございました(^^)野内でした。
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