こんばんは。
「生きづらさ」の鎧を脱ぎ、楽で自由になるカウンセリング。
心理カウンセラーの野内みちるです。
先日、私はこちらのご相談にご回答しました^^。
【ご相談の内容】
何かを相手にしてあげた時には貢献意識でやっているつもりだが、
後で「してやったのに」って思ってしまう時がある。
実は見返りを求めているようですごく嫌だなと思ってしまう。
そうしましたら、ご相談者のまめさんからも、以下のようなご感想をいただきました^^
(ありがとうございますーーーー!!)
※許可をいただいて掲載しています^^
ブログのご感想・ご質問
回答ありがとうございました
先日ココロノマルシェで
「隠れクレクレ星人になっている」
で回答をしていただいたまめです。
「してあげよう」「これをあげよう」
と思った瞬間は「与える」だけなんですがだんだん別の感情がクローズアップされていく感じです。
「ありがとうって言われたいぜ、ぐへへへへへへ」
いいですね!ちょっと笑ってしまいました。
今度心の中で言ってみようかなと思います。
自己肯定感が低いので
自分を満たすというのはなかなか難儀ですが、人にしてあげようと思った時には自分にもなんかしてあげようと思います。
このご感想や他にもいただいたご感想を読んでいて、
「これはむしろ、隠れクレクレ星人を卒業するのは、長所を受け取るのも大切かな?」
と思ったのです^^
なので、今日は、この点を「続・隠れクレクレ星人を卒業する方法」として書いてみたいと思います^^
「自分は隠れクレクレ星人かも…」と思う方は、そもそもクレクレではない!?
まめさんのご感想も他のご感想を下さった方を見ても、
「むしろ、「自分って隠れクレクレ星人かも…」と思う方は、すごい与える能力高いのでは…」
と思ったのです。まめさんも、
>「してあげよう」「これをあげよう」
>と思った瞬間は「与える」だけなんですが
と書いて下さっていますね。
つまり、それぐらい自然と「与える」というのをされているのだと思います^^。
(また、こうやってネットの片隅にある私のブログにご感想を下さるのも、「与える」能力の発露ですものね^^。)
心理学的には、「与える」と「犠牲」というのは、
与える:相手が喜ぶことをしてあげて、このことに自分が喜びを感じられる状態。相手からの見返りは求めない。
犠牲:本当は嫌だけど無理やり他人のために行動すること。
という見方があります。
むしろ、自分がいっぱい与えているという長所を受け取る
そして、まめさんにとって、「与える」というのが、自然にできることなので、もしかしたら、それが長所とわかりずらい可能性もあります。
無理や我慢をしなくても、既に自然といっぱい与える力があるということ。
それによって、多くの人が喜んで、まめさんに感謝の気持ちを持っていること。
(上手にその感謝の気持ちを表せる人ばかりではないかもしれませんが、「まめさん、ありがとう!」と思っている方は多いと思います^^)
それを受け取ると、
「普通にしてるだけで、私はいっぱい人に与えているんだな~」
と思いやすくなるのではないかと思います^^
「与える」から「犠牲」へ滑り落ちるのは、本当に紙一重
>「してあげよう」「これをあげよう」
と思った瞬間は「与える」だけなんですがだんだん別の感情がクローズアップされていく感じです。
と書いて下さっています。
「これ、わかるーーーー」と思われる方も多いのではないかと思います。
(私も「ああ、ものすごくうまく表現してくださっているーーーーーー」と思ってしまいました(笑))
これって、最初は、
「相手に喜んでほしいな~」
「相手が楽になってほしいな~」
と始まったものだと思います。
それが、いつしか自分が心地よい範囲を超えて、頑張りすぎてしまう。
そうすると、スルッと「与える」から「犠牲」に滑り落ちてしまったという場合もあるかと思います。
それを防ぐには、
「普通にしてるだけで、私はいっぱい人に与えているんだな~」
「私は相手に喜んでほしいという気持ちがいっぱいの人なんだな~」
ということを意識しておくと良いのかもしれません(自分の長所を受け取っておく)^^
まとめ
今日は「続・隠れクレクレ星人を卒業する方法」として、「自分の長所を受け取る」というポイントを書きました。
私自身が「犠牲」の問題をずーーーーっと長らく持っておりました(もしかしたら、今もあります 汗)。
だから、この手の話はいっぱい書きたいことがあります^^
今日のお話も「うーん、自分の場合はどうなんだろう?この場合はどうなんだろう?」と疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません^^
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