こんにちは(^^)。「生きづらさ」の鎧を脱ぎ、楽で自由になるカウンセリング。野内です。
今日は、最近体験したことで面白いな~と思ったアウトプットに関わることを書いてみたいと思います。視点を変えるとか立場を変えることの効用といった内容になるかと思います。
※体験談としてゆるーくお楽しみいただければと思います(^^)
意外な発見
先日、中島らもさんの「今夜、すべてのバーで」の紹介をブログに書きました。
記事を書くために本をパラパラっと読み返していたのですが、ふっと思ったのですね。「中島らもさんの文章、こんなに美しかったんだ…」
プロの作家に向かって失礼極まりない言い方ですね(笑)。私、中島らもさんの本自体は昔から大好きで、引っ越し続きでハードワーカーだった20代に、仕事関連以外の多くの本を処分した後にも、私の本棚に「今夜、すべてのバーで」と「ガダラの豚」は生き残っていたのです。
そういう意味でも大好きな作家さんの1人なわけですが、らもさんの本の私のイメージは、
〇一般的に見ると「どうしようもない人」への温かい眼差し
〇それでいながら、時に鮮烈に、時にそこはかとなく漂うユーモア
で、特に文章についてどうこう思った記憶がないのです(忘れているのかな(笑)?)。
一般的には、どうなのでしょうか?天才的な書き手でありながら、アルコール依存症はもちろん、薬物の所持で逮捕され「牢屋でやせるダイエット」という本も書いているし、2004年、52歳の若さで死去。少しトリッキーなイメージというのがあるのかもしれません。
でも、先日読んでいて思ったのは、
タイトで清廉な文章。
達意の名文。
どうしてこれだけの文字数でこんな描写ができるのか…
という感嘆でした。
例えば、こんな感じ↓
おれは口の片一方では、
「今夜、すべてのバーで」(P44)
「くだらない売文稼業で」
と苦笑いしてみせながらも、もう半分の口元では本気の笑みを浮かべていた。
「コーヒー牛乳!」
「今夜、すべてのバーで」(P132)
なつかしい味だ。いやらしいほど甘くて安物の味がする。アルコールにひたっていた十七年間、一度も思い出したことのない味だ。
意外な発見をする方法とは?立場を変えること
で、長々語ってしまいましたが、今日の本題は中島らもさんの文章の美しさではなくて(←違うんかい(笑)!)、何度も読んだ本の文章の美しさに、なぜ最近になって気が付いたのかな?ということです。
結論から言えば、自分が文章を書くようになったからかなと思ったのです。
まあ、もちろん、こんな底辺ブログとプロの作家を一緒にするのは冷や汗出るほどおこがましいので(;^_^A、もう少し正確に言うと、「自分が文章で何かを伝えたいと思うようになったから」ということかと思います。そして、「うまくできねー( ;∀;)」という思いを日々感じているからかと思います。
皆さんもないでしょうか?自分が何かをする立場になって初めて、「あれ?これってどうやったら良いんだっけ?」とふっと思って、他の人のやり方に興味を持つということが。
〇後輩に仕事を教える時になって初めて、他の人がどのように教えているかに興味を持つ
〇心理学の内容を誰かにブログで伝える時になって初めて、他の人(師匠とか先輩とか)がどのように伝えているかに興味を持つ
とかいろいろと日常生活に転がっているようにも思います。
〇今まで何百回と仕事を教えてもらっていたけど
〇今まで何百回とブログを読んでいたけど
その時とは違った視点で仕事やブログを見ることができるようになる。そして、他人の素晴らしさを違った視点で実感することができるようになる。そんなこともあるのかもしれません。
アウトプットとインプット
これは、よく言われる「アウトプットとインプット」の関係で捉え直すと、「アウトプットすると、他の人のアウトプットの仕方の美しさをよりインプットできるようになるよ」と言い換えられるかもしれませんね。
「受け手」の立場から「与え手」の立場に移行した時に、「与え手」としての実力のなさ・方法のなさに愕然とするかもしれないけれど、それは「与え手」となったからこそ見えたことなのかもしれません。
まとめ
今日の話は「与え手」が良くて「受け手」が悪いとか、「アウトプット」が良くて「インプット」が悪いとかそういうことではないと思います(^^)。
視点を変える・立場を変えることで、見えるものが変わってくることがあるのかもというお話でした。
これは他のことでも当てはまる時があるのかもしれませんね。親と子ども、妻と夫、上司と部下などなど。また機会があれば書いてみたいと思います(^^)
読んで下さってありがとうございました(^^)野内でした。
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