こんにちは。
「生きづらさ」の鎧を脱ぎ、楽で自由になるカウンセリング。
心理カウンセラーの野内みちるです。
今日は表社会では処理できない行き場のない思いがたどり着く場所(アンダーグラウンド)についての恐ろしくも精緻な小説として読める、「今夜、すべてのバーで」(中島らも著)をご紹介したいと思います。
私自身も自立に自立を重ねていた時代はアンダーグラウンドとしてアルコールの問題を抱えていて(今は、断酒して何とか生還)、その時読んだ本の中で、個人的に最も「…見透かされた…」と思ったのが本書です。
概要
概要を勝手にまとめますと以下になります。
3人の人間に「35歳で死ぬ」ことを予言されていたアルコール依存症の小島容(こじま いるる)。酒を断てずに、連続飲酒で入院することになった小島の入院生活と過去、現実と幻想を描いた小説。
「酒=好き」と「酒=道具」の違い
作者自身がアルコール依存で入院した過去を元に書いたと言われるこの作品。とにもかくにも、アルコールの問題についての文章の切れ味がすごいのです。
一般的なアル中は、それぞれに日常生活の中に不吉な予兆を示している。現役のアル中であるおれに言わせれば、アル中になる、ならないには次の大前提がある。
「今夜、すべてのバーで」(P46-47)
つまり、アルコールが「必要か」「不必要か」ということだ。よく、「酒の好きな人がアル中になる」といった見方をする人がいるが、これは当を得てない。アル中の問題は、基本的には「好き嫌い」の問題ではない。
酒の味を食事とともに楽しみ、精神のほどよいほぐれ具合いを良しとする人にアル中は少い。そういう人たちは酒を「好き」ではあるけれど、アル中にはめったにならない。
アル中になるのは、酒を「道具」として考える人間だ。おれはまさにそうだった。この世からどこか別の所へ運ばれていくためのツール、薬理としてのアルコールを選んだ人間がアル中になる。
これには参りました( ;∀;)。そう、私もアンダーグラウンドでアルコールにハマっていた時は、お酒の味など全く好きじゃなかったのですよね。ただ酩酊する必要があるのみ。薬理としてのアルコール、手段としてのアルコールなのです。
アンダーグラウンドとしてのアルコール
そして、アンダーグラウンドとしてのアルコールの問題と取れる箇所は以下。
内臓は頑丈でも、おれの心には穴がいくつもあいていた。夜ごと飲みくだすウィスキーは、心にあいたその穴からことごとく漏れてこぼれ落ちてしまうのだった。
「今夜、すべてのバーで」(P50)
(中略)
たいていは独りで飲んだ。(中略)バーテンが話しかけてくるような店には一度行くと二度と行かなかった。話しかけられると答えねばならない。答えるということは、自分の人格を見せることだ。装って作った人格を見せるのは面倒臭いことだし、装っていない裸体をさらすことはそれ以上にいやなことだった。
「装って作った人格」(=表社会の自分)と「装っていない裸体」の分離。そして、「装っていない裸体」の抑圧。当時だいぶドキリとした記憶があります。まあ、私はウィスキーではなくウォッカ派でしたが(←どうでも良い情報)。
おまけ
主人公(小島)が最後どうなるかは本にお任せするとして、個人的にはとても思い入れのある一冊です。
自分の好きな本について書くのは、自分の心の内について書くのと同じような恥ずかしさがありますが(/ω\)、アンダーグラウンドとアルコールについて、とても良い本だなと個人的には思っているので、ご興味のある方は是非。
読んで下さってありがとうございました(^^)野内でした。
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