こんばんは。
「生きづらさ」の鎧を脱ぎ、楽で自由になるカウンセリング。
心理カウンセラーの野内みちるです。
※クライアントさんから許可をいただいて、ブログに掲載しております。
Tさん(女性)からのご感想
【カウンセリングを受ける前に、どんなことで悩んでいましたか?】
あれこれと忙しく、感情を無視してやらなきゃならない、決めなきゃならないことに溢れていて、気持ちが停止したような状態でした。
疲れているから、本当にしたいことが出来ない。
もどかさしさもありつつ、ただただタスクをこなさないと進まない日々に疲れていました。
体に不調が出ていても頑張らないといけない状況になっていました。
弟と向き合いたいのに何も感情が湧いてこず、向き合えないもどかしさもありました。
【カウンセリングを受けてみていかがでしたか?】
どんなことにも一理ある。
その一理を相手の一理を採用したり、優先してしまっていることに気づきました。
振り返ってみれば、私の選択肢や決定事項にはいつも相手の一理があったと思いました。
相手にも一理ある。
でも、私にだって一理ある。
もちろん、相手の一理を理解したり、時に受け入れたりすることも大事ですよね。
でも、私の場合は自分の一理を潰すために相手の一理を優先してしまっていたと思います。
私の一理は正しくないのかも。
間違っているのかも。
という考えがあったからです。
物事は常にフラットで、正しい、間違っているなんてことはないはずなのに。
ただ、捉え方が違うだけ。
これも私の癖だなぁと再認識しました。
【その他何かあればご自由に書き込み下さい】
みちるさん、今回もありがとうございました。
自立の自立にハマっているのって自分で気づきにくいですね、、、。
気をつけていたつもりだったけれど、私にはまだまだゆるむ、自分のご機嫌取り、やりたくないことをやらないを意識強めに持った方がいいんだなぁと気づかせて頂きました。
弟へのお恨み帳が何も書けない!
向き合えない!
気持ちが動かない!
って、なっていたけれど、無意識に向き合っていたとは、、みちるさんにお話聴いてもらわなかったら分かりませんでした。
今起きていることは完璧なんですね。
いつもありがとうございます。
Tさん、素敵なご感想本当にありがとうございました!
>相手にも一理ある。
>でも、私にだって一理ある。
けだし名言!
相手の立場に立てる優しい方。俯瞰力のある方。
そういった素晴らしい資質を持っている方は、いつの間にか「相手の一理」を「自分の一理」より優先するという罠にはまってしまいがちなのですよね( ;∀;)
特に、小さい時から自分が我慢することで何とか家族のバランスを取ってきた方。
主張の激しい家族(ヒステリックな母や怒りっぽい父など)や配慮が必要な家族(弱い母、体の弱いきょうだいなど)がいて、ついつい他者を優先せざるを得なかった方。
そういう方は、このパターンを持ちやすいように思います。
もちろん、それはその方が悪いわけではなく、何とかその環境でやっていくために、身をよじるようにして身につけた心のクセなのですよね。
私はそういう方のお話を聞くと、その方が今まで、言葉にならずに飲み込んだ数々の気持ち、誰からも感謝されることはなかったかもしれないけど、その方がずーーっと無言で他者に差し出し続けてきた無数の頑張りや献身。
冬の雨の日に泣いている人に、自分は濡れながらも黙って傘を差し続けてあげるような、その方の優しさや強さ。
そういったものに心打たれる時も多いものです。
カウンセリングは、そうやって他者のために頑張ってきた方が、その方の素晴らしさを受け取って、今度は自分にも優しくなれるようになる場所かもしれません^^
「相手の気持ちもわかるから…」「相手の立場もわかるから…」
そんなふうにいつも相手に配慮している優しい方。
是非、相手も自分も楽で自由な世界にお引越ししませんか^^?
カウンセリングでお手伝いしています^^
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