こんばんは(^^)。「生きづらさ」の鎧を脱ぎ、楽で自由になるカウンセリング。野内です。
今日は「誰かを見捨ててしまったと自分を責めている時」について書いてみたいと思います。
自分はあの人を見捨ててしまった…
〇道端で車いすの人が止まって困っているふうだったのに、急いでいて声をかけずに通りすぎてしまった…
〇鬱になった恋人と別れてしまった…
〇暴力的な父がいる実家から、母を置き去りにして逃げ出してしまった…
こんなことがあった方もいるかもしれません。そのことで、「自分はあの人を見捨ててしまった…」と思っていらっしゃる方もいるかもしれません。
これは罪悪感の一種で、「見捨ててしまった罪悪感」というものを表しているのではないかと思います。
別に自分が積極的に誰かが傷つけたわけじゃないし、自分自身も、その時大概いっぱいいっぱいだった。でも、ふとした瞬間に「自分は悪い人間なのではないか…」「自分は幸せになる資格なんてないんじゃないか」と自分を苦しめる罪悪感。
私も思い当たる節があり過ぎて痛い( ;∀;)
今日は、そんな見捨ててしまった罪悪感に「思い当たる節が…( ;∀;)」という方に向けて、その経験をどのように捉えられるかについて2つのポイントから書いてみたいと思います。
罪悪感の下にあるものに注目する
これはこのブログでも良く出てくるテーマなのですが、「罪悪感と愛の量は比例する」という私の心理カウンセリングのお師匠様の言葉があります。
罪悪感を感じるということは、その罪悪感の下には、「罪悪感を感じている相手に悪いことが起きてほしくない=相手に幸せでいてほしい」という思いがあるのでは?ということです。
例で言えば、
〇車いすの人が困らずに幸せでいてほしい。
〇恋人が困らずに幸せでいてほしい。
〇家族が困らずに幸せでいてほしい。
こういった気持ちが罪悪感の下にある場合もあるかもしれません。まずそこに気付くだけでも、何だか楽になったりすることもあるのではないかと思います。
詳しくはこちら。
一緒に溺れるのではなく、自分が岸にあがるというのも立派な助け方
今日は、もう1つの「一緒に溺れるのではなく、自分が岸にあがるというのも立派な助け方では?」ということを詳しく書きたいと思います。
ちょっと先日下記の本を読んでいて、がんの終末期患者が「あんたみたいに健康な奴に、俺の苦しみや恐怖がわかってたまるか!」と怒鳴られた時、精神科医の作者はどう答えるかというのが載っていました。その答えがこちら↓
「おっしゃる通りです。わたしは健康ですし、あなたではないのだからあなたの苦しみを体験することなどできません。ただし、自分なりに過去のつらい経験をもとにあなたの気持ちを類推しようと努めていますし、もしわたしがあなたと同じくらいに苦しんでいたら、知恵を出す余裕もなくなってしまうでしょう。今のわたしは、あなたよりも苦痛が軽くなくては使命を果たせないのです。」
「治らない」時代の医療者心得帳―カスガ先生の答えのない悩み相談室
まあこれを面と向かって相手に言うかどうかはその人のキャラや状況によるかと思うのですが(;^_^A、一緒に苦しむという方法もあるかもしれないが、自分が苦しくないからこそ相手にしてあげれることもあるという意味かと思います。
もう1つ例を出すならば、あなたと友人が川で溺れていた時に、一緒に溺れるのが必ずしも友情ではないと思うのですね。そうではなくて、自分1人でも岸に這い上がり助かることで、友人を助ける可能性もアップするのではないでしょうか。
なので、もし仮に家族の例だとすると、「自分は家族という沈みゆく船から自分だけ逃げだした…。自分は家族を見捨てて自分の命を優先した…。生き延びるために自分は醜い行いをした…」と思っている方がもしいるとしたら、お気持ちは私なりに痛いほどお察しします。でも、その方は、離脱という勇気ある決断を持って、家族の負の連鎖を断ち切ったという面があるのではないかとも思います。
もし仮にその方が家族内に留まり(一緒に溺れ続け)、その人が病気なり何なりになったら(溺れて沈んでしまったら)、他の家族員はどう思うでしょうか?もれなく罪悪感を感じるのではないでしょうか?ある意味で、その方は他の人が罪悪感を感じないようにしたとも言えるかもしれません(^^)。
今日のお話は、逆に、家族を見捨てられずに溺れ続けてしまったらダメとかそういうお話とは捉えないでいただけたらなと思います(^^)そういうやり方で頑張ってこられた方もいるし、離脱というやり方で頑張ってこられた方もいる。そのどちらもその時できる限りを尽くされたということだと私は思っています(^^)。
まとめ
今日は、誰かを見捨ててしまったと自分を責めている時、
①罪悪感の下にあるものに注目する
②一緒に溺れるのではなく、自分が岸にあがるというのも立派な助け方
という点を見てみると良いかもという話を書きました。
これを読んで下さった方へ。あなたが幸せになることがきっと誰かの助けになる、そんなことをお伝えできればと思い書きました。
読んで下さってありがとうございました(^^)野内でした。
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