こんばんは(^^)。「生きづらさ」の鎧を脱ぎ、楽で自由になるカウンセリング。野内です。
今日は、「責任」過剰・いろいろ物事を背負い込みがちな方に向けて書きたいと思います。
よく一般論として、結婚を決める時に、男性は「結婚=責任=相手の全てを背負わないといけない」と思うので結婚に尻込みするみたいな言い方をする場合があるかと思います。
しかし、これ、別に男性だけじゃなくて、「責任=相手の全てを背負わないといけない」という「責任」過剰体質の人は女性でもそう感じることってあるのではないかと思います。
実際、私(一応、女性です)も結婚=責任と感じて、「なんか、嫌だな~」と尻込みしていたタイプです(爆)。
で、今日は、結婚の話ではなくて(←違うんかい(笑))、なんか「責任」という言葉を聞いた時にモヤーっとした「なんか嫌だな~」「怖いな~」というネガティブな気持ちがこみ上げてくる場合の1つについて考えてみたいと思います。
「責任」という言葉にどう感じるか?
「責任」という言葉を聞いて様々なイメージがあると思うのですが、今日は、例えば、以下のようなイメージが出てくるパターンについて書きたいと思います。
「責任」=
〇ものすごく重苦しいもの
〇ものすごく全てを背負わなければならないもの
〇他人の荷物も含めてすべて何とかしなければならないもの
こういうイメージが出てくる場合、少し背負い込みすぎている場合があるのかもしれません。
「責任」という言葉が、他人との境界線(バウンダリー)を飛び越えて、全て相手の分もやらないといけないと思ってしまっていないか?ということかと思います。そして、もし、そう思っていたら、「責任」は怖い・嫌だと思っても当然ではないかと思います。
このような重たい「責任」のイメージはどこから来たのか?
このように重たい「責任」のイメージは、いつごろついたのでしょうか?もしよければ考えてみていただければと思います。
一つの可能性として、あなたの子ども時代についたのかもしれません。
例えば、
〇親が自分の親役割を放棄しており、子どもが親の親役をやらざるをえなくなってしまう
〇親が自分の問題の解決を子どもに押し付けてしまう。
〇ついでに、子どもがその問題を解決しようと尽力してもできない場合、「どうして解決してくれないの!」と親のほうが子どもを責めてしまう。
〇本来親が担うべきことも、ニーズとして「どうしてこれしてくれないの?」「どうしてあれしくれないの?」と子どもにぶつけて、責任転嫁してしまう。
ということがなかったでしょうか?
総じて、親のほうがお菓子売り場の床に大の字になって「いやだーいやだー。あれしてーこれしてー」と手足をバタバタさせている幼稚園児みたいな態度を取ってしまう状態(依存の状態)になってしまうと、子どものほうは何とかその親を泣きやませ、安心させ、立ち上がらせ、背中のゴミを払ってあげみたいなことをしようとしてしまうかもしれません。
もちろん、そうやって頑張ってきた人の他人のことを気遣う気持ちとか、何とか相手の役に立ちたいという気持ちは、それ自体はとても素晴らしいものではないかと思います(^^)。
一方で、相手と自分の境界線(バウンダリー)を超えて文字通り自分の身を削って誰かの面倒をみてしまうのがデフォルト設定になっていなかったかということもポイントになってくるのではないかと思います。
境界線(バウンダリー)を引くこと
上記のようなパターンがある場合は、自分と相手の境界線(バウンダリー)がどうなっているかをまずは観察してみるのはいかがでしょか?
また、以下のように言ってみて、どのように感じるかを見てみるのはいかがでしょうか?
〇私は私、相手は相手。
〇私の感情は私のもの、相手の感情は相手のもの。
〇私の身体は私のもの、相手の身体は相手のもの。
〇私の問題は私のもの、相手の問題は相手のもの。
まとめ
「責任」という言葉に「なんか嫌だな~」「怖いな~」というネガティブな気持ちがこみ上げてくる場合、自分の「責任」の考え方がどんな設定になっているか、自分と他人の境界が消失していないかを見てみると、私は私、相手は相手という境界線を取り戻せて楽になるかもという話を書きました。
読んで下さってありがとうございました(^^)野内でした。
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