こんばんは。
「生きづらさ」の鎧を脱ぎ、楽で自由になるカウンセリング。
心理カウンセラーの野内みちるです。
今日はとっても素敵なカウンセリングのご感想をいただきましたので、ご紹介します^^
※クライアントさんから許可をいただいて、ブログに掲載しております。
Mさん(女性)からのご感想
【カウンセリングを受ける前に、どんなことで悩んでいましたか?】
パートナーを望むものの、男性は褒めたらつけ上がるという思い。結果、ぞんざいな扱いをされて疲れてしまうという心配。
【カウンセリングを受けてみていかがでしたか?】
家族の人間関係がベースになっていることに気付くことができました。
私一人が頑張り、ほかの家族は口だけ。
おんぶに抱っこと、背負うのが基本で苦しみはあれど仕方ないと受け入れるのが普通でした。
また、たいした行動もない割に褒めることを求められる。私がやるのは当たり前で雑な扱いが基本。不満を伝えると逆ギレ、もしくは指導という名のモラハラ。
これが我が家の在り方でした。
課題のワークは、自分に価値があるとは思えない根源が家庭にあり、ぞんざいな扱いをされる私なのだから相手からの親切や好意は相手の真心や礼儀、だという心理パターンのルーツを突き止めることが出来たように思います。
強烈なダメ出しを甘んじて受けることは「あなたのために言っていることなんだ」と言われ続け、理不尽な思いをずっと抱えてきました。
宗教二世として、カルマ思想の強い影響もあり償うように頑張ってきたため、ただ私の存在に価値を見出しているという人がいることに信じられず、欲の対象はあれど、女性として好意的に見られるわけがないという無価値感の由来をやっと見つけられたように思います。
亀の歩みですが、労うことで昇華され始めました。
また、ふとした時に出てくる「舐められてたまるかよ」「ふざけるな、許さない」という憎悪を含んだ気持ちも、労わりや配慮を向けるとつけ上がる家族に対して、そもそも感じていたことに気付くことが出来ました。
他者から雑な言動や、私の価値観に反することをされると病的な怒りが湧き、その後自己嫌悪に陥る理由が上記にあったと気付けたので手放します。嫌で仕方ないにも関わらず、やってしまうルーツを突き止めることが出来たので。
また、親しくなることに怖さを感じていたのも、そのうち怒りの対象になってしまうのでは?という危惧から来ていたように思います。
最後に、私は仕方ないという言葉が努力を放棄したように感じて大嫌いだったのですが、今、自分に向けて「仕方なかった」と言えるようになりました。可愛くなれない武闘派の自分も嫌った依存の自分がいることも「しゃあないな」と。
それもこれも、憎しみや苦しさを感じながらも家族を愛したことから始まっていたのですから(ただし、この部分はムカつきもまだあります笑)
揺れるときもありますが、幸せになることで当てつけるという考えや、心に埋め込まれた周囲の視線(宗教の教義を含む)から自由になりつつあります。
これからどう生きるか、幸せになることに罪悪感を覚えることなく軽やかに考えられるようになりました。
【その他何かあればご自由に書き込み下さい】
いつも同じことを言って申し訳ないのですが、みちるさんが伴走してくれることで、私は未来に向かう楽しさを感じています。
出自を受け入れつつあるのは、みちるさんのおかげです。
引き続き、よろしくお願いします。
Mさん、とっても素敵なご感想本当にありがとうございました!
〇「そのままの私は愛されない」
〇「何かしないと、自分には愛される価値はない」
パートナーシップで我慢や無理が続いている時、こういう無価値感が原因かもしれません。
そして、この無価値感は、過去の家族との関係から形作られている場合があります。
カウンセリングでは、過去の家族との関係を整理していくことで、この無価値感から自由になることを一緒に取り組んだりします^^
「そのままの自分でOK」「何かしなくても、それでも自分は生きていていい」
無価値観から自由になると、そういう安心感が心に中にできてきます。
でも、家族関係が大変だった人の中には、「何を綺麗事を言っているんだ!」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
(私も過去は、そういう言葉を聞くと「はいはい、良い家でお育ちなんですね…」とイライラしていました(笑))
もし、そう思われる方は、よかったら一緒にカウンセリングで取り組んでみませんか^^?
今まで苦労してきたあなたが、今度は安心と自由を感じられるように、私は心から応援しています^^
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