こんばんは(^^)。心理カウンセリング勉強中の野内です。
「〇〇さんは優しいですね~」「〇〇さんはしっかりしていますね~」などと相手が善意で言ってくれているのは分かるけれども、なぜかそれに傷つく。
そんな時はないでしょうか?今日は、この「褒められて傷つく」「長所を言われて傷つく」について考えてみたいと思います。
先日の「誉め言葉を受け取れない時の対処法」は、どちらかと言うと褒められても自分ではそんなことないと思うから受け取れないということでしたが、今日の「褒められて傷つく」は、自分では何となくそれが長所と言われるのも分かるけど、なぜか傷つくという部分ではないかと思います。
なぜ傷つくのか?
なぜ傷つくのかについて、人それぞれ理由があると思うので、もしよければご自身で「なぜ傷つくのかな?」と振り返ってみていただきたいのですが、経験的に今思いつくパターンを以下に2つ考えてみます。
誉め言葉が自分の中でネガティブな意味づけをされている?
例で出した「優しい」「しっかりしている」は一般的にはとても良い意味で使われることが多いのではないかと思います。でも、言われた人の中で、それが嫌な経験と結びついていて、その言葉がネガティブな意味づけを帯びているということもあるかもしれません。
例:「優しい」と見られるから嫌な仕事も押し付けられてしまった…。「しっかりしている」と見られるから本当は嫌だったのにリーダーに祭り上げられてしまって失敗した…。など
つまり、「優しい」「しっかりしている」という言葉そのものよりも、そのように見られて傷ついた経験があるという場合は、まず、「あ~、自分はそのような経験があるから、「優しい」とか「しっかりしている」とか言われると傷つくんだな~」ということを認識できると、
なぜか傷つく→理由や状況が分かるので、少し気持ちが変わってくる
ということもあるかもしれません。また、その傷ついた経験を癒していくことで、気にならなくなるということもあるかなと思います。
本当の自分は違うのにと思う?
「〇〇さんは優しいですね~」「〇〇さんはしっかりしていますね~」などと言われると、なんか「本当の自分は違うのに…」と思うので傷つくこともあるかもしれません。
例:「本当は嫌だけど必死にニコニコしているだけなのに…それを優しいって言われると…」と思う。「本当は嫌だけどちゃんと振舞わないといけないと思って頑張って振舞っているだけなのに…それをしっかりしていると言われると…」と思う。など。
この場合、ペルソナ(仮面)を褒められても、「本当の自分ではない」と思うので傷つくということもあるのではないかと思います。
この場合は、では、「本当の自分」はどのような人間だと思われているのかを、もしよければ振り返っていただければと思います。
例えば、優しくない→冷たい人間ということでしょうか?
しっかりしていない→ぼんやりしたダメ人間ということでしょうか?
そして、その「冷たい人間」「ぼんやりしたダメ人間」などだと自分が感じた出来事は何かあるでしょうか?
例えば、「あんたは本当に冷たくて冷酷な人間だ」とか「あんたみたいにぼんやりした人間はダメな人間だ」と家族に昔言われ続けてきたとか。
もしあるならば、その経験(痛み)を癒していくことで、実は「本当の私」は「冷たい人間」「ぼんやりしたダメ人間」等と思っていた部分が意外と違うかもということが分かったりすることもあるのではないかと思います。
※痛みがとても激しいとかの場合は、カウンセラーなどのサポートがあっても良いのではないかと個人的には思います。
まとめ
今日は、「褒められて傷つく」「長所を言われて傷つく」について考えてみました。
自分のことで恐縮ですが、私はたまに「優しい」と言っていただくことがあるのですが、昔はずっと「私って冷酷なひどい人間なのだよ…」と思い悩んで過ごしていたのです(爆)。なので、「優しい」と言われても、本当の自分は「冷酷なひどい人間」なのに、「優しい」と言ってくれた人に嘘をついているような、申し訳ないような感情を感じていました(「罪悪感」てんこ盛り状態の典型ですね(;^_^))。私の場合は、心理学・カウンセリング等を使って、その「私って冷酷なひどい人間」と思うに至った原因とかを振り返り癒していくことに取り組みました。今は、自分が優しいかどうかは分かりませんが、もしその「優しさ」により、少しでも誰かの心が緩んだり・暖まったりすることがあれば、それはとても素敵なことなのかな~と思っています。
まとめなのに長くなりましたが、読んで下さって本当にありがとうございました(^^)。もし、何かご質問やコメントなどありましたら、お気軽にこのブログの「お問い合わせ」からお送りくださいね。野内でした~。
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